ねこノあしあと

ニャタが思ったこと、考えたことの書留処。

うつろう心の花に水をやろう

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平井堅 


平井 堅 『even if』MUSIC VIDEO

君の心に 僕の雫は落ちないけど
このバーボンとカシスソーダがなくなるまでは
君は 君は 僕のものだよね

平井堅 - 『even if』より 抜粋

 

 

超久しぶりに聞いたけど……この曲は好きだなー、母も好きだった。一時期よく聞いていた。 

ということで、これは何かの調査結果とかじゃなく、本当にふと思い立って書きなぐった駄文なので、超ヒマなときに読んでほしい。前回と相変わらず超私信。つまり、むるちゃん、わふちゃん、モカちゃん宛て。 

 

 

アイドルとファンの距離


人との出会いってのは、若いうちはめまぐるしくて、その出会いにおける喜びも、いつの間にかに疎遠になってしまう寂しさも、そのせわしさの中で思いを馳せることは少ない。

 

でも、社会人になってくると、出会いの喜びも、疎遠になる寂しさも、若いころよりもずっと良く心に残るものです。特にプライベートにおいては。

 

私は今、mysta審査が終わってしまった後を思って、とても寂しく思っている。

君たちが、この3次審査を通る通らないに関わらず、約2ヶ月に及んだ関係は変わってしまう。たった2か月だったけど、何だか濃い時間だったなー。


考えてみれば、アイドルとファンの関係というのは、ひどく捻れた関係だなと思う。

 

アイドル活動の初期、両者の距離はとても近いはずだ。

ファンも少なく、アイドルとファンは互いを認識し、声をかけあい、アイドルは自身の夢に向かって、自らが披露するその容姿や歌などの技能を高めていく……

 

今、君たちと私は互いが認識できる、ごく普通の人間関係の延長線上にいて、ある意味での黄金期であり、もっとも楽しい蜜月の時代であるだろう。(蜜月って言い方がちょっとエッチで良いなうん)(そういうとこだぞ、キラキラ)


ちょっと変わった出会いの友人?に近しいとすら私は勝手に思っている。

うむ。推し3人に認知されてるんだから、私は本当に幸運なファンですなー。

 

しかし、3次を審査員賞以外で突破したなら、そこには今までに数倍するファンないし、強烈なVIPファンがいるわけで、君たちはそのファン達との新しい関係を築き上げることになるだろう。

 

アイドルとファンが捻れた関係だというのは、ファンという存在で成り立つアイドルが、実はそのファンたちから人間関係として遠く離れて、初めてアイドル(偶像)として成り立つという性質をもっている為だ。

 

前回の記事を書いた後、10分くらいしか覗けなかったが、かりん☆様の配信を見た。

ファン一人一人をとても大事にしていて、あのファンの規模でその黄金期の関係を疑似的にでも維持しているのは、やっぱ、かりん☆様!心遣いヤバいと思ったけれど……

 

結局、そのやり方で維持できるファンは、どんなに身を削ったって200~300人くらいまでだ。それ以上は人間のキャパを越えるだろうし、数百人の時点で、アイドルとの距離が近い、蜜月な関係の幻想を、ファン一人一人に完全に見せることなど出来はしない。

 

だからきっと、全国レベルで"成功してしまった"、ファンを大事にするアイドルたちは、これまでの距離が近いファンとの蜜月関係をあきらめる。

 

ファンと距離を取り、”自らが披露するその容姿や歌などの技能”をさらに磨いて特化させていくんだろう。

 

「夢を追いかける私こそが、今は遠く離れて顔も見えなくなったファンと共有した唯一の絆であり、そこにこそ、人間であったファンとの交流があると信じる」だろうから。

 

でも、そうして容姿や技能に特化して、まさにその化身となることこそが、ファンからさらに人間的に遠くなり、そしてまたアイドル(偶像)として完成していってしまう・・・・・・

 

ファンはファンで(と言ってもこの場合は古参がつくけど)、アイドルとの人間関係の触れあいを出発点にしながら、アイドルの成功を望むがゆえに、アイドルとの人間関係を遠ざけ、それをファン内部へ組織することで応援する・・・・・・

 

そういう互いへの想いが強まるほど、逆に両者が離れていく、アンビバレントな関係性がアイドルとファンにはあるんだろうなーと勝手に妄想するわけです。

 

……いや、別に君たちはいちごちゃん(声優)になりたいだけで、アイドルになりたいわけではなさそうなのは知ってるし、さらに言えば、そんな全国のアイドルになれる可能性が高いと思って言ってるわけでもない。

 

単にアイドルという存在はそういうものだろうな、ファンとの人間関係は疎遠になっていくのが普通だろうな、という考えを素人が憶測でモノを申しているわけです。(申すな)

 

まぁAKBとか最近のアイドルは、その距離感をまた疑似的に縮めることで売れてるんだろうけど、ほら、私の頭の中のアイドル像は昭和だからさ……

 

 

色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける(色に現れずにあせてしまうものは人の心という花)

 

そういうわけで、全国アイドルに比べればものすごーーーくささやかなんだろうけど、3次審査を受かったらある程度のファンがついて、これまでみたいにお話するのが難しくなるのかもしれないなーと思ったわけです。

『私にそんないっぱいファンが付くと思う?!』とむるちゃんは言ってましたが……いや、それはそれで審査が通らなくね???

 

そして、3次審査をもし落ちたとしても、君たちのmysta上での活動が当然なくなるので、大枠で言えば、声優アイドル(卵)とファンの関係で結びついたこの関係は崩れ、mystaという4人に共通する話題も減り、冒頭に書いたように、いつの間にかに疎遠になって消えてしまう未来もあるんだろうなーと思って、少し寂しかったわけです。

 

どんなに楽しいゲームだってアニメだって、それが終了すれば次第に心は離れていく。その熱狂がウソだったかのように。1000年以上前から、人はうつろいやすい心を飼って、その気まぐれな猫っぷりに悩まされてきたものです……

 

いやそりゃ君たちはいいよ?mystaがなくても、同年代でオタトークもできるだろうしさー。ニャタさんだけ男だし、年上だしさー、オタ活なんかしてないしさー、君たちの中へお友達のようになかなか入っていけないじゃん?悲しいのう……と、そう言ってる時点で私は悟る。

 

君たちがアイドルとして成功しようがしまいが、あんまり気にしてないことを……つまり、私は正確には正しくファンしてるわけじゃないことを。

 

人間関係ってのは、何もせずに維持できるほど強固なものじゃなく、いつだって水をやったり肥料をやったりして、育てる努力が必要なものです。

 

そういうわけで、mysta審査終了という変化の風が吹いてきたので、その風で自分の心がうつろわぬよう、せっかく出会って生まれた芽が枯れぬよう、まずは君たちの好きなアニメやゲームを勉強しようかなーと思ったという話です。まほやくはまだ入れただけだから、まずはそこからか……

 

ということで、どうぞ3次審査以降も、この年上のお兄さんと仲良くしてほしいぞ!!以上!!

 

追伸:7/12って最終日だっけ?私なんとその日夜勤なんです……最終日ラストスパートでギフト投げれんかもしれん……夜勤だと携帯もって大丈夫だし、人も少ないから、最近はチラチラ君たちをのぞきに行ったりするけど……状況による。ごめんね泣……

mysta審査で重視すべきポイント帯!その名も『Thousands(サウザンズ)』(ダサい)!!


東京事変 - 閃光少女

今日現在(いま)を最高値で通過して行こうよ
明日まで電池を残す考えなんてないの
昨日の誤解で歪んだ焦点(ピント)は
新しく合わせて

切り取ってよ、一瞬の光を
写真機は要らないわ 五感を持ってお出で
私は今しか知らない
貴方の今に閃きたい

東京事変 - 『閃光少女』より 抜粋。君たち"選考"少女だしね 笑

 

 

というわけで、超久しぶりにブログを開いた……

わずか4つしかない自分用のメモ書きとは違って、この記事は明確に読者を想定して書いてる……というか、これは調査報告の体をとった手紙です。

 

また、読者を想定してはいるものの、ネットに公開している以上、第三者が見てもわかるよう(また未来の自分がわかるよう……ここ重要)、ある程度の回りくどい説明が付くかもしれないが、まぁ時間があるときに読んでくだされ!

 

 

むるちゃん、わふちゃん、もかちゃんへ!

 

まずは改めて『東京ミュウミュウ にゅ~♡』声優アイドルオーディション、2次審査の突破!!おめでとう!!

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キャンペーン画像

 

ここ最近の私の生活は、君たちの配信を見たり、ツイッターのリプでからんだりするのを楽しみに生活しているので、もはや友達を通り越して、家族のような親しみを勝手に感じています。キモチワルいオジサンだ。どうぞこれからも夜露死苦!!(反論しないで?泣くぞ?)

 

さて、これからいよいよmysta上で3次審査が始まるわけです。

6/21に2次審査が終了となったわけですが、私の推しであるむるちゃんは12位というギリギリ通過でありました。

 

2次審査終了のギリギリで、わふちゃんやもかちゃんへ、あしながおじさんをしたから……というのは無きにしも非ずですが、どちらかというと、3次審査にコインを残しておこうと残コインをケチったからです。これ以上の課金は……まぁ、むるちゃんが私に嫁いできてくれるなら考えますが???

 

というわけで、直接的応援(課金)では3次を殴り倒せないので、少し冷静にこの審査を攻略しようと考えました。

「きゃー!!むるちゃん可愛いー!!」と言ってダダがらみしているままだと、なかなか審査に合格するのは難しく思えたからです。むるちゃんがマジメに戦う気があると言うので。

 

そういうわけで、連日夜勤(22-23日、24-25日)が続いている私ですが、昨日調べて判明したことをお伝えしようと思って、このお手紙を書いているわけです。(前置き長い)

 

ちなみに私は課金してまで誰かを推したこともないし、こういうオーディションを追ったこともないので、『そんな当たり前のこと言う!?この情弱!!』みたいな発言があったとしても、生暖かい目で見守れ??

mystaの出場者やサポーターでやってるという情報交換の場を見たこともないし、さらに言えば、わずか数時間でわかったこと、考えたことです!!その辺の予防線を認識しながら、生暖かい目で見てね!!

 

 

動画のクオリティと動画を誰に向けて作るのか?

 

mystaというアプリは動画投稿でもって、その動画にファンがポイントを投げて審査をするわけなので、動画のクォリティはとても重要だ!……と思っていた時代がありました!

 

むるちゃんとも話しましたが、2次審査まで終わってわかったことがあります。

ファンは審査対象である動画のクォリティをあまり気にしません……

 

推しにポイントを投げる!んです。

 

動画のクォリティが問われるのは、ファンをつかむ1次審査以前の話であり……さらに言ってしまえば、1次審査以前でも不要です。ファンはmystaで獲得しなくても良いからです。

 

3人ともすでに実践していますが、別アプリの配信や他のSNSからファンを獲得すれば、そのファンがmystaをインストールし、ポイントを投げてくれます。

 

審査における合格基準が、あくまで動画に投げられたポイント数の合計で決まるのであれば、

動画内容に凝るのではなく、ファン獲得のために動くのが最適解!

という話になります。

 

もちろんこのオーディションは動画審査だけでなく、ステージパフォーマンスや合宿審査など、mystaが用意した審査員による審査があるわけで、その審査員が審査対象者の動画を見ないはずがありません。そしてその動画の良し悪しで、他の出場者と差がつく可能性は大いにあるでしょう。

 

そういう意味では、ポイントを投げてくれるファンに向けてではなく、それらを突破した後に見てもらう、審査員を主に意識して動画は作るべきかもしれません。

 

もちろんmystaユーザーにおいて、最初の入口は動画であるので、投稿動画でファンをキャッチできるに越したことはないです。

 

が、最初も言った通り、訓練されたファンは動画内容にポイントを投げるのではなく、推しにポイントを投げるわけで、

ファンの獲得手段は投稿動画に限定せず、もっと幅広い手段を持つべきだ!と思われるわけです。

 

 

mysta審査は何を審査しているのか?

 

このオーディションは声優"アイドル"の審査です。

私はどちらかというと、声優としての技量に重きが置かれた審査がされるのかと思っていましたが……どうも上記の通り、mystaのこの1次~3次審査で測ることができるのは

『人を惹きつけられる力』『集客力』

と言えるわけです。アイドル側面の審査が主であるようなんですね。

 

1次~3次の審査目的が『人を惹きつけられる力』『集客力』っていう話なら、

『集客する対象って誰なんだ?どんな奴らで何を与えればファンになる?』

と考えるのが普通の話です。

 

そこで私が何を調べたかというと、1次・2次審査における、『審査上位5名の各ポイント帯の人数』です。

(各ブロックの上位5名くらいやろうと思ったの……ひたすら疲れるから途中で作業を消して、全体上位の5名でやり直した。もう傾向は各ブロックの数名でわかったからさ……)

 

集客に成功している、成功者たちのファン層を調査すれば、

どんなファンが最もポイント貢献をしてくれるのかがわかる筈だからです。

 

 

『Thousands(サウザンズ)』を狙え!!!

 

結論を言いますと、チアポイントが数千ポイントである、ライトユーザー層が上位陣のポイント源であるということです。(ただし、有栖川さん・成瀬さん除く……)

 

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1次審査(上位5名)

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2次審査(上位5名)

 

超汚いやっつけ仕事だが……意図が伝わりゃイインダヨ!! 

 

表は各ポイント帯で(1,000以上~3,000未満は1,000、3,000以上~5,000未満は3,000、5,000以上~10,000未満は5,000として…他同様)人数をカウントしていて、

グラフのピンク部分(表の黄色部分)は、1,000ポイント以上~10,000ポイント未満のファンが、総ポイントにおいてどの程度の割合を占めているかを表している。

※さらにスマン。正確な割合では全くありません。大雑把な私はファン全員分のポイントをメモするのが面倒だったので、70,000だろうが90,000だろうが、50,000ポイント以上は50,000として計算し、人数を掛け合わせているだけ。当然、実際の総ポイントと齟齬が発生していますが、どのポイント帯が総ポイントに占める貢献度が高いか、その傾向をはかるには近似で良かろうと思ったわけです。100未満はテキトーに30で計算。

 

皆さんはコレを見て何を思うだろうか?

私は単純な事実にしか気づけなかったんだけど……

つまり、かりん☆様ってバケモノじゃね?!ってことです。

 

上に書いた通り、数千ポイントを投げてくれるファンたちの存在が、出場者3000人を超えるこのオーディションにおいて、彼女たちを上位陣たらしめている。

各出場者、1次審査で最低50%以上、2次審査でも最低40%以上の割合を占めているのがわかるだろう。

 

万を超えるポイントを投げてくれる、コメントも熱心なファンではない。

もしかしたら、コメントすら少なくて印象が薄い、けどよく通ってくれているファン……その人たちこそが、実は総ポイントにおける中核!

……というのが、上位の人のポイント内訳になっている。

 

逆に言うと、そういったファン層の構成をしていないと、安定した高ポイントになりにくいんだろう。(この重要なポイント帯に名前をつけよう……数千ポイント帯だから『Thousands(サウザンズ)』と呼ぶ……安直でダサいというな?わかればイインダヨ!)

 

トップのかりん☆様の1次審査と2次審査のデータを見てみよう。

かりん☆様の1次審査時のThousandsは、53%・128人だった。2次審査で44%・130人である。

 

1万ポイントを超える課金帯(Billing Zone (ビリングゾーン) と呼ぶか(安直2))においては、

 

[1次審査]

10,000~29,999台が17人

30,000~49,999台が2人

50,000~99,999台が1人

[2次審査]

10,000~29,999台が26人

30,000~49,999台が4人

50,000~99,999台が1人

 

お分かりになるだろうか?かりん☆様のバケモノ感を……

 

総ポイントにおける、Thousandsの割合は確かに53%から44%に減っている。

しかし、それはBilling Zoneにおけるファンが増えたからだ。

 

つまり、ThousandsからBilling Zoneへ進化したファンがいると想定される。(しかも100,000帯への進化ファンはゼロ……)

 

そのうえ、総ポイントにおけるThousandsの割合が減少しているにも関わらず、

そのThousandsの実数は1次審査よりも増えている……

 

かりん様という名前からも、私はドラゴンボールフリーザ様の名台詞しか思い浮かばなかった……

 

「このフリーザ(かりん☆)は変身をするたびにパワーがはるかに増す・・・その変身をあと2回もオレは残している・・・その意味がわかるか?」

 

ぜ、絶望しか感じられねー!?

ピッコロやクリリンや悟飯の絶望を垣間見たぜ!?!?このバケモノに勝てる出場者おるの?!悟空!!悟空はどこですか?!?!

 

Thousandsをターゲットにする重要性というのは、つまりココにある。

彼らが進化すると、高ポイントなガチファンになってくれる!という点だ。

 

かりん☆様は低課金 or 無課金のライトなファン層を幅広く取り込みつつ、一度取り込んだそのファンを順調に教育・強化してBilling Zoneの戦士に仕立て上げている、と想定される。

 

……こええよ、女帝感あるよ。育てるという面では聖母要素もあるよ。フリーザ感もあるし、もうわけわからん。かりん☆様はヤバい!

(上のデータで言えば、ファンの飼育(言い方が悪い)にミスが見えるのが、ゆかちさんだ。長々と説明しないが、Billing Zoneの戦士を1人しか追加できていないうえ、Thousandsの割合も実数も減らしている。新規の取り込み+既存ファンの強化の両方でミスが見られるということで、これを2つとも成功でこなしているから、やっぱりかりん☆様はヤバい)

 

おそらく、かりん☆様がこのmystaで見せているメソッドは、集客という方法における一つの王道にして覇道。mysta上のトレンドで頻繁に見たわけでもないので(私だけ?)、投稿動画以外の部分でファン篭絡メソッドがある筈だ。

 

……でも実は私、まだ全くかりん☆様を見ていないので、このデータのせいでそのメソッドは妄想のなかで大きく広がって、ラノベ一本書けるレベルうん。まぁ3人は見たことがあるようなので、盗めるものは絶対に盗むべき。

 

 

初見に優しくね!!!

 

長文になってきたし、数時間の調査結果は上記の話が主。まぁ改めて言われるほどの話ではないかも知れない……そして、これ以降は補足事項。

 

さて、最もポイントを貢献している層がThousandsであり、ポイントを稼ぎたいのであれば、この低課金 or 無課金で楽しむライトユーザー層に対して、アプローチすべきであるということは判明した。

 

……判明したと書きつつ、つまりその実態は、

「初見を温かく迎えて優しくしよう!!仲間に入れよう!!」

でしかないんですけどね!?当たり前なんですけどね?!?!

 

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私の推し+α(1次審査)

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私の推し+α(2次審査)

 

さてここで、君たち+みんな大好きミンミコ様のデータを見てみよう。

ミンミコ様を除いて、私の推し達のなんという可愛らしい戦闘力!!!好き(?)

おお、少年時代の悟空がフリーザ(かりん☆)に挑んでるよ……

 


この中で、今までの流れからすると、一番まずい状況にあるのは誰か?

むるちゃん!!君がやっぱり一番危ういと私は思うのですよ!!

 

参考データとしてのミンミコ様は、少しだけ規模が小さいかりん☆様(かりん☆様のデータ型はThousands中核型にするか…(安直3))なので、ファン層的には理想的なデータ内訳をしていると思われる。

ただいかんせん、かりん☆様と比べると数字が弱くみえてしまうので、どれだけ新規を抱えられるのか?変身でどこまで伸びるのか?で、上位陣に組み込めるのかが変わってくるんだろう……

 

わふちゃんは、メンバー強化に成功して2次を突破したという構成かな?

ご新規さんも少し増やしつつなので、ごくミニマムなThousands中核型に分類されるだろう。性格通り、真面目な優等生感がある。

 

もかちゃん……君は上位陣にはまったくいないパターンだよ!1次から2次への進化の仕方が理解不能だよ!!笑

たぶん急に注目されて伸びたパターンなんだろうな……

ボクが君を知ったのはわふちゃんのSR配信からだから、何で注目されたか知らない。

mysta内で何かピックアップされたのかな?とりあえず、1次審査の脆弱さを克服して、Thousands中核型になりかけている雰囲気がある。

 

そしてむるちゃん。

ポイントが伸びてるデータ型は、何度も出ているようにThousandsが中核となるデータ型なわけだ。

それが堅実で安定した成長が見込めるポイント構造(ファン層構造)なんだが……

 

私のせいですっかり有栖川さん・成瀬さん型、とあるVIPファンが総ポイントを稼ぐデータ型になってしまってるぅぅぅ!!VIPファン型と呼ぼう(安直4)。もかちゃんも、ともするとVIPファン型に移行しそうだけど)

 

VIPファン型は、VIPの財政力によるからぁぁぁ、私の財力じゃあ安定して伸ばしてあげるとか無理なのぉぉぉー!成瀬さんのVIPとか1人で500,000ツッコんでてビビるのぉぉぉー!

 

というわけで、53%あったThousandsが21%に減ってる上、私で総ポイントの54%を占めてるのは……ヤバい。

私のポイントがむるちゃんのポイントの主力になってしまっている。

既存メンバーの強化には成功したけども(特に約1名に効果大)、新規呼び込みに失敗していると言える。

(しかも、ミンミコ様に推されてたうえ、トレンド動画にも載り、mystaユーザーの目に触れた回数は、わふちゃんやモカちゃんに比べれば多かったはずなのにぃ……)

 

やっぱりご新規に優しくしないとなんだよ!

私も推しに話かけたいし、話かけられたいから、ついコメントを打っちゃうけど……

ご新規を集めるための配信でソレをやり過ぎちゃうと、新規呼び込みの妨害になるんだよなぁ、という当たり前に気づく。

 

それを繰り返したが故のThousands低下なんですよぉー……いくら仲良し同士が配信に来たとしても、やっぱり初見がコメントしやすい雰囲気を作ってあげるのが、配信者と固定ファンの務めなんですなー、その初見さんこそが推しを押し上げてくれるので。(ダジャレじゃないよ?)

 

 

最後に。

 

数時間の調査でわかったのは、対象は「Thousands」という話なだけで、『じゃあThousandsのもっと具体的なユーザー像はどんなだ?男?女?年齢は?mysta歴は?単推し?DD?』とかを調べて、何を与えればつくのか?という手段を取っていきたいけども……

 

そんな時間はきっとない!!!もう3次審査始まるの!!!

 

かりん☆様メソッドを調査してそれを踏襲する……とかもあんまやってられないんじゃないかなー、簡単に取り込めるならやるべきだけど。

でも、劣化かりん☆様を作るだけだし……その間にかりん☆様と同じ土俵で取り込める新規Thousandsは、かりん☆様に吸収されちゃってるだろうし……

 

まぁ、すぐに考えられるThousandsの宝庫は、2次審査を落ちたユーザーのファンたちなんですけどね……

落ちたユーザーに3人がツテがあるなら、そのユーザーのファンへアピールすることで、自身のThousandsメンバーを獲得できる可能性は高い。

 

ファンは推しの推しは推します。なぜなら私がそうだから。

 

そういう意味では、広くThousandsにアピールすることを考えるよりも、

当初から出場者に対して仲良くしてアピールし、その出場者の推しになることができるか?が、得体のしれないThousandsを一から調べて対策するよりも簡単で楽なお話だろうなぁ……

 

……そっか、だから出場者同士って、あんなに仲がいいのかッ!!!(1周遅れで理解するバカ)

 

というわけで、3次審査を戦う何かの参考になればいいなーとは思うけど、単なるアホな文章を見させて時間を浪費させた可能性は無きにしも非ずなので、まぁその時はアハハと笑ってやってくれ。とりあえず、3次審査もがんばってね!!!

 

あ、もしこの文章をここまで長いこと付き合ってくれた、赤の他人がいるのであれば、ぜひこの3人にチアしていってあげてください!!まずはむるちゃんに!!

 

 

〇むるちゃん

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※この2人も載せないと怒られそうだけど……むるちゃんにも投げるんだよいいね?

〇かりん様

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〇ミンミコ様

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「普通」について思うこと

www.youtube.com

But life's like this
(人生ってのはね)
You, you fall and you crawl and you break
(落ちこんで、這いずりまわって、傷ついて)
And you take what you get and you turn it into honesty
(そうして手に入れたもので 本当の自分を取り戻していくものなのよ)

Avril Lavigne - 『Complicated』抜粋

 

久しぶりの投稿だけど、また文字数が長くなる話題を選んじゃった…前回から続く反省を反省しない(汗)

でも最近、何かと同じ類の想いを抱くことが多いので、メモ的に自分の思考を残しておきたく、つらつらと書いてみる。

 

人種, LGBT, 男女, 外見…

ちょっと前に、ブルーノ・マーズは「文化の盗用」だという話題が炎上している記事を読んで驚いた。「文化の盗用」という概念も驚いたし、この話題自体には色々な論点があると思うけど「様々な人種的背景を持つ"特別"な人に対して、オマエは私と同じ”普通”の黒人じゃない」として排斥している点が気になった。

wezz-y.com

※人種的に複雑な背景での攻撃という意味では、水原希子さんへのヘイトもありました。

水原希子が卑劣なヘイト攻撃に「2週間くらい泣き続けた」と告白! それでも屈せず発信し続けた反差別と平和への思い|LITERA/リテラ

 

LGBTの話題も最近は多い。性自認と性指向が異なる人の苦しみの声を受けて、多くの人たちがその認知とあり方への賛意を示している。

Twitterを始める前までは、あまり認識がなかったけれども、私自身もそれらの方々の在り方に敬愛を持ちたいと思っている。

 

男らしさ、女らしさのつぶやきは、1年経たないTwitterライフで、何度も炎上するのを見た。ルッキズムという単語もまた目にする。男女らしさの規範や差別に苦しみ、外見の差別に苦しむ……私は多くの苦しみに対して「苦しみを許容しろ」と言える強さはないから、それらを強いるものにやはり不当を感じる。

 

大雑把で楽天的なので、未来は明るいと思って生きたい。

そんな私にとって、上記にあげた人種やLGBTや男女や外見や……その他の多くの苦しみの声に、励ましと賛同の声が大きい事に希望を持ってる。未来は今まで拾われなかった小さな声が拾われ、苦しみが少ない社会になると信じたい。

 

ただ、それがどんな未来なのかがうまくイメージできなくてモヤモヤし、メモ書きしている。

 

「普通」という「ゼロ」を持つこと

人種・男・女・外見……これらの言葉が持つ「普通」のイメージは、初めて出会う全くの未知の他人を理解するのに、少なくとも大きな役割を持っていないだろうか?

 

白人であれば、フランクで饒舌でハグに抵抗がなく、黒人であれば、運動能力に優れてRAPが上手いに違いない。男であれば、力強く強引で、女であれば優しく淑やかだ。美しい人は、優雅で知的であり、醜い人は下品で愚かだ……勿論正しくない。でも、これらのステレオタイプの「普通」は、他者の理解に役立っているのでは?

 

生得的な要素や肩書(地位、職業など)が持つイメージというものはある。それは最大公約数的な知見から得たイメージなのか、権威や文化が広めた都合の良いイメージかは置いておき、少なくとも他者をはかる「ゼロ」という基準値の役割を果たしている。

 

「白人」では"あるが"あの人はシャイだ、「黒人」では"あるが"この人は運動音痴だ、「男」では"あるが"…「女」では"あるが"…

 

ステレオタイプという「ゼロ」の位置があるから、目の前の人は「この面では-1、あの面では+3」という「ゼロ」からの差異で評価をし、その人を深く理解していける。

目の前にいる見知らぬ他人に対しては、一般的に人を表す「普通」の要素群の、それらイメージの集合体として、まずその人を理解しようとしているのではないだろうか?

 

比べられる「普通」があるから、その人の個性を愛せる。

一般的なモノから外れているからこそ、その人の個性を「特別」に感じるかもしれない。

 

私が感じているモヤモヤとは、つまり、未来には「特別」が存在しなくなるのでは?という点だ。

 

ステレオタイプの"普通"のイメージは持ってはいけない!誰もが特別なのだ!』

現代にはこの「普通」をもってはいけない!と戒め、禁止する傾向があると思う。「普通」を失くしていけば、当然「特別」も失くなっていく……

 

初対面の人を生得的な要素で判断してはいけない。肩書や社会的地位などももってのほかだ。この人は、アジア人(日本人)っぽく見えるがミックスかもしれず、自認は黒人かもしれないし、彼は彼でなく、身体は女であるかもしれない。性自認や指向?わかるわけがない。美醜や年齢、兄である、妹であるなどの関係性で先入観を持つ?この差別主義者め!?

 

おぉ…初めて会う他人の得体の知れなさ半端ないって!アイツ半端ないって!

(大迫選手、コロンビア戦の決勝ヘッド素晴らしかったです)

「大迫半端ないって」一夜で拡散 流行語大賞有力? - 社会 : 日刊スポーツ

 

これまで親しんできた「普通」とか「世間一般」という偶像。この「大きな物語」を共有できない未来では、いったい何を縁(よすが)に他人をはかれば良いんだろう?

 

「普通」の中にあった救い

ある苦しさを与える「普通」の横暴を目にした時、人はその「普通」を指さして『"普通"であることをやめろ!』と叫ぶ。気持ちはわかる。けれど、たぶんその「普通」を全否定して破壊し尽くしちゃ不味い気がしている。

 

他者を理解するのに「〇〇なら××であるのが"普通"」という基準がないのはツライ。

毎回手探りで他人のイメージを自分の中に一から構築していくのは、時間がいくらあっても足りない。得体の知れない他人と関わり、関係を構築しなきゃならない社会で生きるのに、それではあまりに非効率だ。

 

「机」という概念を用いずに、毎回「木の足が4本あって板がついた物」として認識するのが大変過ぎるのと同じだ。
初めて見る「机」らしきモノを認識するには、「机」という概念を利用した方が圧倒的に早い。材質や足の本数の差異は「木の足が4本あって板がついた物」からの差分として理解していけば良い。

 

他人を見るときだけじゃない。

自分自身が拠って立つにも、「普通」という指標があるのは救いだ。 冒頭のブルーノ・マーズを糾弾した女性のセレンは、おそらく「普通」の黒人である。黒人であるということに、誇りとアイデンティティを持っている。黒人らしく振舞うことを何より好んでいるかもしれない。

 

ステレオタイプは、そのステレオタイプが要求する「普通」らしくあるだけで一定の社会的評価を得られる。男らしい男、女らしい女、父親らしい父、母親らしい母……

○○らしく振舞う事は、(その是非はおき)それだけで評価が得られる。「普通」であることは、マニュアルのある社会的地位が約束された道を歩むことではないだろうか?

 

セレンは、おそらく自らのアイデンティティを「黒人」に多く依存している。彼女は「黒人らしくあること」で立っている。

その「黒人」に対する棄損になりえると考えたから、炎のように怒ってブルーノを糾弾したのだろう。でもそれは、彼女個人が持つ「特別」な何かではなく、自らがただ黒人であるという「普通」のことに、より多くの価値を見出してしまった結果ではないだろうか?

 

一昔前は、誰かにとってのある苦しみを生み出している「普通」は、他の誰かにとっての利益も与えていたのだと思う。

ただ男らしくあれば、女らしくあれば、父らしく、母らしく……それだけでその人は偉かった。だから、○○らしいステレオタイプであろうと頑張った。

 

他者への意思の伝達がどんなに下手でも、男らしく黙っていればそれでカッコいい。

自分の意思で考えなくても、女らしく黙って従っていれば妻として魅力的だ……

例の内容はさておいて、ある種の欠陥を糊塗できる効果が○○らしさにはあった。

 

学歴社会における神話も、ある意味、この「普通」であることと似ていて、良い大学に入学さえすれば、社会的地位と幸福が約束されていた。

昔は、社会や世間の評価基準がはっきりしており、それを得る手段が単純で明快だったのだろうと思う。

 

「男」「女」「兄」「姉」「夫」「妻」「父」「母」……数十年前ならそれらの言葉における「○○らしい」仕草をしていれば、それだけで評価されたモノたち。

 

それらが要求する「普通」らしさを頑張ることはわかりやすかった。

言葉のイメージも実際の例も、そこかしこに溢れていたから。ただそれらを真似る努力さえできれば、多くの人は自然と評価されたのだ。

 

でも今は「男らしい男」がなくなった。「女らしい女」もない。「○○らしい」なんてわかりやすい指標はなくなってしまった。○○らしさの苦しみがあったからだ。

 

私たちは「私らしさ」を求めなきゃいけない。「私らしさ」という「特別」にならなきゃいけない。でも一体、それはどこにあってどうやってなるんだろう?「○○らしい私」なら、やり方も例もあるし、それで簡単にプライドと評価も得られたのに……

 

ステレオタイプの普通さ」を真似る努力では評価されず、欠陥も補ってくれない未来で、「特別」を持たない「普通」の人はどうやって救われれば良いんだろう?

 

破壊と創造は表裏一体

小さき声が拾えるようになり、暗い影に隠れていた苦しみが発見され、それらを救おうという現代を愛する。でも苦しみを救うために、今まであった「普通」の一部は、もう修復不可能なくらいに破壊されてきている。

 

影に光をあて、苦しみの原因を糾弾して破壊する運動は、1年と経たない短いTwitterライフでも何となく見て取れる(ネット初心者の私は、普段Twitterの住民)。

けれども破壊したあとに、破壊したものを創造しようとする意思があまり見られない気がする。「そんな〇〇はけしからん!」と憤慨するのは同意するし、わかる。ヒドイよなと思う。じゃあ理想の〇〇とは?

 

この〇〇が単に「けしからん○○をしない」という、カウンターとしての描き方にしか見えなくて、場当たり的であんまりしっくりこない。本当にそれが理想の〇〇なのかな?と思ってしまう。

破壊には合わせて創造をする意思も必要だ。反対意見だけ出して代案がない、またはしょぼいみたいな感想をよく持つ。

 

代案の「普通」がないから、その反動として、昔の家父長制などを称揚する向きもある気がする。長い時をかけて構築された「普通」を、わずかの間に構築できるわけもなく、今は過渡期なのだろうなとも思う。

 

ただ「新時代の新たな人間とはこうあるべきだ!」という信念や思想の主張が少ない気はする。新世界の夜神君くらいの勢いが欲しい。

 

破壊は引き算だ。破壊する対象から本質を削りだすことはできる。

しかし、削れてしまった本質で、自分が助けたいモノだけではなく、それに関わるその他全てを、今まで通りに救えるのかは考えるべきなんじゃないだろうか?

 

大抵の場合は、削れてしまったモノでは、それまでと同じように対象を救えないので、削った部分を補うよう、削る対象を変化させ、新たに創造するのが自然だと思う。

 

この破壊と創造を同時進行でしてやらないと、セレンや私みたいな「特別」がないその他大勢の人間には、辛い未来になる気がしている。

「黒人」という「普通」しか頑張れるものがない人から、その「普通」を取ったら?

 

社会での実践的な価値が低くなった"削られた"「普通」では、これまでのようにただ「普通」を真似るだけでは、十分に自己のアイデンティティや地位を確立できなくなっていくんだろう……

 

「普通」の人たちに慈悲を…

涙を見せちゃいけない、女子供を守らなきゃならない、強くなきゃいけない……

そんな規範に潰される男がいる一方、その「普通」が要求する規範を守り、目指して自信に変えた男はいただろう。

 

でも未来はそんな「普通」の男を良しとしない。弱い男もいるからだ。

私だって弱い男だ。そんな規範を守れる気がしない。性別に対する○○らしさを持つ事自体、おそらく悪となっていくのだと思う。

 

過去は「普通」の規範をこなせる人を評価して救ってきた。現在は「普通」の規範を破壊して緩くし、より多くの人を救おうとしているように見える。

※「普通」の規範の適用対象に、そもそも入っていない人たち(例えば障碍者など)がいる時点で、破壊のアプローチでは限界があると思う。だから、新しい「普通」の創造が必要とは思ってはいるのだけど……

 

現在の傾向から考えれば、きっと未来の「普通」は優しい規範になるんだろう。

何かを強制したりはしないんだろう。でも、だからこそ、ただ「普通」であることは、これまでみたいに価値がある「普通」じゃない。

 

 そうしてみると、過去の「普通」は普通じゃなかった。社会が価値を見出していた時点で実は「特別」だったのかもしれない。

 

だから私には「普通」を持ちたくても持てなかった「特別」なブルーノを、「普通」しか持たなかったセレンが糾弾しているのは、何やらやっぱり象徴的な気がしてくる……

 

どんな未来になるのかはわからない。

これまでの「普通」の効能を捨てて、新たな方向に進むのか、それとも新時代用に修正した「普通」を創造していくのか……

 

でも、変わらない事実がある。「特別」な人は多くない。「普通」の人が大半だということだ。

 

未来を導く本当に「特別」な人たち!

どうか今より多くの「普通」の人たちを、今よりもっと上手く救ってほしい。

どうか今の「普通」の人たちを「特別」に導いていってほしい……と思う。

 

※数日この記事の原案を寝かしたまんまで公開するの忘れてたら、昨日はアイヌの民族文様の話で盛り上がってた…その流れでブルーノの記事も流れてた気がするけど、「文化の盗用」話はまた何か煮詰まったら書いてみようかな

 

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2018.06.29 追記

この文は、自動投稿でTwitterと指定時間に投稿できるか試してたのだが、下記の記事を添付しておくの忘れてた。

 

目に見えない人種差別「マイクロ・アグレッション」

karapaia.com

 

『マイクロ・アグレッション』という言葉も初耳だったけど、これもまた現在の「普通」が偏見に満ちているためな気がする。

 

Kiyunのこのプロジェクトは、どこの国の人間であろうが、本質的に相手を思いやることと、コミュニケーションの重要性を強調している。たとえ誰かを侮辱しているつもりはなくても、すべての人がそう解釈するとは限らないということなのだ。

 

そして、"じゃあ具体的にどうするんだよ?"と思ってしまう。

上記では「普通」についての思うことだったけど、この問題については、発信側への抑制だけではなく、基本的には受信側にも対処策が必要なんじゃないかなぁと考えている。

 

確かに発信側が傷つける。だから、発信側への注意・抑制は絶対に必須とは思う。でも、上記の通り、悪意がなくても事故というものは発生する。

 

「悪意に負けない強さを持て!」と受信側に強いることはできない。それは、自動車が暴走して人身事故を起こすのに、その自動車に打ち勝て!と言うに等しい。

 

しかし、事故に備えて「どんな車が往来しているか?」とか「信号は青なのか?」とか「ここは横断歩道か?」とか、まぁ色々と状況を見定めて、事故にあわない工夫と対策はしても良いと思う。これを声高にいう事は、もちろん事故を容認しかねないので出来ないけれども……ということで、追記終わり。

映画『フロリダ・プロジェクト』感想

たまにはブログも書こう!まだこの記事を入れても3つしか書いてないけど(笑)!  

というわけで、映画『フロリダ・プロジェクト』を観たので、感想をつらつらと…

『こんな風に感じた(考えた)!』が中心のメモ書きみたいなもんなので、映画の内容が語られずに文章が抽象的なのは私の基本仕様です。ご了承ください…

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 ※公式HP

floridaproject.net

 

[総評]★★★★☆

5段階中、星4くらいの評価をあげたい作品でした。良作。

いつものごとく、前情報を全く入れずに鑑賞。ジャンルとしてはヒューマンドラマかな。アメリカのモーテルを舞台に、貧困層の生活を主に少女ムーニーの目を通して描かれる作品。映画の要素として下記5個があるんだとすると、各々の感想としては下記。

 

[ストーリー] ★★★★☆

エンターテイメントであったり、何か救いを与える内容ではなくて、

「社会的弱者の物語を、いかに鮮やかに描くか?」に腐心した、とてもリアリティに溢れるストーリー。もちろん現実をただ描いただけじゃなく、そこは映画的なんだけど。

 

[配役/演技] ★★★★★

子役たちの演技がすげーんだ!『これ本当に演技させてんの?単に子どもの素の姿をカメラに収めたんじゃねーの?』って思うくらいとても自然。もう映画じゃなくてドキュメンタリー見てる気になってくるんだよね。

母親役はInstagramで発掘された新人らしい。彼女も好演だったなぁ。もちろん管理人役(『スパイダーマン』でグリーン・ゴブリン役のあの方…名前知らん…)の人情味あふれる演技は、流石な安定感があって素晴らしかった!

 

[演出/台詞] ★★★★☆

一番やられたのはラストだなぁ。『あー、ココで終わりとするのか!』ってのがうまくて、どちらかというと余韻を残す古いフランス映画みたいな感じ。『スリー・ビルボード』もそうだったけど、最近は余韻を残すラストが流行なんかな?

もう1つは、ムーニーが新しくできた友達を、大きな倒木がある場所へ連れていく場面。ジャムをつけたパンを食べながら、どうしてここがお気に入りの場所なのかをムーニーが友だちに告げる。この時の台詞が「倒れても育ってるから」…この作品中で一番心に残った台詞だったし、この映画が単なるリアリティを描いただけじゃないことがよくわかるシーンだった。

 

[映像] ★★★★☆

俯瞰的にもなるけど、基本はムーニーの視点で描かれるから、カメラのアングルも子ども目線で低かったりして、子どもにとって世界が大きく、広いことを感じさせる工夫があった。フロリダの温かい風景が…モーテルの明るいパステルカラーが、ムーニーとその母親の寒々しい絶望的な現状と好対照となって、とても印象深く感じられる映像になってる。上手い…

 

[音楽] ★★★☆☆

オープニングに素敵な音楽がついてて、BGMにも期待しながら見始めたんだけど、本編始まったら全然音楽が流れない…でも、そこが良かった。

子どもの目線から描くから、ここにさらに音楽の力まで加わると、フィクションじみてきて、現実が歪められることを嫌ったのかなと思う。というわけでエンドロールですら、雑踏の音声が流れるだけで、音楽の力というものはほとんどなかった。でも、"音楽を抑えた"という意味で上手かったのかなと思う。

 

子どもと大人の無邪気さが印象深い

その日暮らしの金銭的に切羽詰まった環境において、ムーニーという少女がみせる奔放さは『何も知らない無邪気な子どもだから』では決してないんじゃないか?と思う。

 

子どもはいつだって鋭くて賢い。

「私、大人が泣くときわかるんだ」という台詞も(たぶんそんなニュアンスだった)、子どもが持つそんな鋭さをうかがわせる。一瞬一瞬を燃やし尽くし、楽しみ尽くす様子は、きっと子どもが感じている、自分の周りのどうしようもない閉塞感への反抗だ。

 

『私を圧迫する世界への、このどうしたら良いかわからないモヤモヤは、目の前の一日を遊びつくすことで燃やしてやる!』

 

ある意味、子どもの中にある大人な感性が、この破天荒な明るさ・パワフルさに現れてるんじゃないか?

自由で満たされた裕福な子どもに、目の前の些細な物事に対して、情熱的な遊びのタネを見つけることができるとはとても思えない。満たされた子どもってのは、たいてい物事に愚鈍でつまらなさそうに構えるもんだろう。

パッと見は無邪気に見え、生活の切れ端にすら楽しみを見出すムーニーのせわしない原動力は、きっと世界の"ままならなさ"への無意識な怒りの発露だ。

 

母親(…あれ?おばあちゃんだっけ?…とりあえず、役割は母親だった!)であるヘイリーは非難されるべき部分が多々あるように最初見える。

けど、ムーニーと遊んでいる時のヘイリーは無邪気だ。大人が子どもに接する時の無邪気さは、最初はやけっぱちな態度から入るもんなんだが、だんだんと本気で無邪気になっていき、気づけばその子どもの無邪気さに救われている…そういう愚かな大人の仕草が描かれていたような気がする。

 

だから、映画を観ている観客にとって、このヘイリーが芯からの自堕落で救いようもない悪人であるとは思えない。だって、彼女は子どもの無邪気な純真さを持っているから。そうしてみると、一度弱者に堕ちてしまうと、この社会ってのがいかに弱者に冷たく、這い上がり難い社会であるかというのが、ヘイリーを通じて痛感させられてしまう…純真な彼女がなぜ社会にすくい上げられないのかと思ってしまう。

おそらく先進国における貧困からの脱出って、社会が完熟しているがゆえに、後進国よりもとても難しい構造になってる。

 

彼女は罪を犯したり、社会的に大きな過失を犯してモーテル暮らしになったわけじゃない(詳細には描かれていないが)。自分のプライドを守っただけだ。でも、それで再就職できなくなった。そのプライドも、生きるため(ムーニーを守るため)に押し殺し、押し殺したがゆえにさらに"売春"というレッテルで社会的評価はますます堕ちていく…

 

2人に共通するのは、どこかで破滅の不安を感じながらも、目の前の生活を楽しめているところだ。日本だったらこうはならない…なぜなんだろう?

 

「親子の呪縛」「家庭に介入する権力」「生活の破綻 ≠ 死」

2人の明るさを生み出してる、日本とアメリカの違いはたぶん3つあると思う。

「親子の呪縛」「家庭に介入する権力」それから「生活の破綻 ≠ 死」だ。

 

ハリウッドのヒーロー映画やアクション映画によくある主張って、もう「家族(Family)」が超大事!に見える。"家族こそ人生の全て!"ぐらいの勢いで、「家族」の絆の価値観が語られているのを見ると、アメリカ人にとってもはや「親子」ってのは呪縛なんじゃないかと思う。"親は子を、子もまた親を、愛さねばならない"という呪縛に(本人たちはそれとは知らぬ間に)束縛されている。

※誤解がないように補足するけれども、私は別にそれが悪いと言っているわけではないし、素晴らしい価値観だとも思っている。

 

ひるがえって、日本の親子の価値観ってどうだろう?

アメリカほどの「家族」至上主義みたいな価値観があるか?と言うと、そんなことはない気がする。その価値観自体は認められているけれども、アメリカほど主流ではなく、また最重要な価値観でもない。

 

日本では"親は子を、子もまた親を"という相互関係ではなく、親から子への一方的な愛情であり、"子は親の所有物"という認識が強い気がする。(※ムーニーと同じくらいの子どもと親における関係では特に)

幼い子どもの主体性というのは尊重されていない…というか考慮されていないのじゃないか?そういうわけで、"親は子を愛し、子は親に従わなければならない"という価値観が、日本における幼い子供と親の在り方の主流だろうと思う。

 

そういう親子像の違いを考えると、この映画の中の親子…もし日本が舞台だったら死んでるんですよ絶対!!

「家族」至上主義がない日本だったら、この母親はまず育児放棄をしそうだ。子どもはもっと幼児の頃に死んでいるでしょう。

また、もし育児放棄せずに育てた場合だったとして、『定職につけず、売春による稼ぎも封じられ、家賃ももはや払えない。もう私は絶望的だ…』となれば、映画のクライマックスとして「心中」しか見えないわけです。日本では親の絶望に子も従わねばならない…

 

そういうわけで、日本舞台ではデッドエンドしか見えないハズの主人公たちが、アメリカが舞台だとちゃんと明るく生きている。『ドロドロとした死の影が暗く付きまとってもおかしくない状況なのに全然死の影が見えてこない…この明るさはナニ?』というのが一番気になったし、そういうわけで「親子の呪縛」の価値観が、『ヘイリーのような貧困層の人々でも育児を投げ出さないのに一役かってそう』と思った。

 

「心中」を防ぐ手立てとしては「家庭に介入する権力」がありそうだと思う。

育児という家庭の問題に権力(児童福祉局+警察)が強制的に介入する制度と、それを是とする社会的認知がアメリカにはある。親の絶望に子どもが引きずられないようにしてる。モーテルへ食料の無料配給が来ているシーンの描写とかもあったけれども、弱者に対する福祉制度は、日本より充実してそうだと思った。

 

もちろん、日本にも児童福祉に関する同様な制度はあると思うけど、"家庭に権力を入れるなんて言語道断!"であり、"他人の家庭教育に嘴を入れるのは慎む!"という風潮がある。そういう日本の社会だと、この映画のように通報されず(映画ではムーニーを助けるための通報ではなかったかもしれないけど)、心中による子どもの死を救えない可能性が高い。また映画における児童福祉局と警察の協力関係を見る限り、この映画ほどの協力関係と警察の強制力が日本にあるのか疑問…いや私が知らないだけで同じように機能してるならいいんですけど…

 

母親のヘイリーに死の影がまとわりつかないのは、『生活の破綻は、"死"を選択するほどのシリアスな問題(生活の破綻 ≠ 死)ではない』という常識や制度があるからじゃないかな?社会が生活の破綻を救ってくれる安心感が、底辺な生活のなかの明るさの下地にある気がする。(やけっぱちとなっている可能性は否定できないけども…)

 

ところが日本だと"生活の破綻"は"生存の危機"に直結していて、容易に死に結び付くイメージがある。さらに日本だと生活の破綻は"自己責任"であり、それゆえプライドの高い男性は"自己責任で自殺"してしまうわけで、権力が生活の破綻に(強制的にでも)介入して救済する割合は、アメリカよりもずっと低い気がする。

 

「家族」至上主義を持ちつつ、その最たるものである「家庭」に対して、権力が介入できる余地を作った、アメリカの福祉制度の変遷は気になるところではあるけれども、そういう制度が浸透し、社会全体で『他人の家庭の子どもも救おう!』というマインドがあるんだろうと思う。

 

ヘイリーに死の影がないからこそ、子どものムーニーも死の影をまとわずに済んでいる。この映画、日本で単純に撮ったら、親がまとう死の影の深刻さが、子どもにも伝染してとんでもなく暗い映画になったに違いない…そんな風に考えさせられる話だった。

 

ラストの意味合いは難しいなぁ…これまでの延長線上として『子どもたちは遊び(夢)の中に埋没することで、絶望を振り払う』ともとれるし『富の象徴で皮肉を効かせた』ともとれるし、まぁ一番メッセージ性が高かったのがラストシーンかな…

 

…というわけで、こうなんだろ、文章量がダラダラどんどん増えていくところ何とかしたい…まぁ文章の訓練ということで…書かなきゃうまくならんし…超感動したわけでもない映画においても、約4900字近い文量だと?…下手くそすぎか…ただ書きながら整理されて気づくこともあるのは面白いね。しかし長文になり過ぎる…時間もくそかかるし…次回は文量と時間が半分くらいになるように頑張ろう…

 

ではまた何かの機会で♪

 

星々の声に耳をすまそう

2018年4月20日の金曜日、母が亡くなった。

大腸癌だった。

昨年5月に癌だとわかってからの約1年間、母は最後まで病と戦う選択をした。

でも、その選択のうちに母が何を想っていたのかを知るすべはもうない。

……

どうしても暗い始まりになってしまったけれど、

先週ほぼ一週間はずっと病室で過ごして、曜日も時間感覚も狂う生活だったので、ようやっと落ち着いた4月22日の夜21時現在、母の死から想ったことなどを書き留めて置こうと思う。

 

そういうわけで、今回のテーマ曲は荒井由実ひこうき雲

ユーミンは名曲ぞろいですよね。でも私は"松任谷由実"よりも"荒井由実"派です(笑)

www.youtube.com

前回もテーマ曲をつけましたけれど、私は文章の巻頭に聖書の一句や詩などがついて始まる、古典的な形式が何となくカッコ良くて好きです。エピグラフ - Wikipedia というらしい…初めて知った)

でも、詩や古典といった教養がないので、J-POPで代用させて頂こうと思ってつけてるのです。

閑話休題

 

肉親の死というのは、これはまぁ人類共通に避けられない出来事なわけです。

『母がどんなに可哀想であったか!』ということを語りだすと、これはこの文章を読むほうも鬱屈するうえに退屈だし、何よりそんなことを書くほうも嫌になります。

そういうわけで「肉親の死に対して、どうやって前を向いていくべきだろう」ということを、母の手を握りながらぼんやりと考えたことを書き留めようと思います。

 

星の王子さま」を読みましょう!

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https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102122044/ref=nosim?tag=maftracking125154-22&linkCode=ure&creative=6339

 

いきなり方法から書きましたが…おススメです。

とある縁から、先月3月に「星の王子さま」の公演を拝見する機会があったのですが、この公演を見て「星の王子さま」の原作を読み直していたことが、母の死を迎えるに際して、前向きに考えられる一助になっていたと思います。

 

星の王子さま」はフランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説で、彼の代表作であり、1943年にアメリカで出版された本です。

初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えて現在まで読み継がれるロングベストセラーという話ですから、すごいものです。

名前を知らないという方は少ないのではないでしょうか?でもまた、子どもの頃に読んだけど、大人になって読んだという方は少ない気がします。

 

星の王子さま」のストーリー自体は、ぜひ原作を読んでください。 

自分の持つ詩的な心と、社会との間に摩擦を感じた人ほど、多くの示唆を感じ取れる本でしょう。そして、人の死を迎えるに際しても、この作品ではとても重要な示唆を与えてくれています。

 

「花のことと似てるな。どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見上げるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いているように見える」

 

星の王子さまは、最後に"死"を思わせる方法で自分の星に帰っていくのです。

 

「きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ!」 

 

よく「○○はキミの心の中で生きている」に類する言葉を見かけますが、私にはよくわかりませんでした。

「○○が実在しなくても、○○を自分の心に描ける」とか「仕草や思想といった○○の要素は、自分の中に息づいている」という意味にとっていましたが、「星の王子さま」を読むとそういうわけではないのだなと思ったのです。

 

星になる人は、決して自分というたった一人の心の中に閉じ込められるのではない。

まさしく世界に存在する星に溶け込むのであって、私たちはこの世に実在する星の中に、その人を見つけるのです。「○○はキミの心の中で生きている」という言葉も、

今ここにあるモノの中に、○○が息づいている(○○が生きている)ことを見つける眼を獲得したのだ

という事だと思えました。

 

母を失いそうになって、私は初めて母をいかに愛していたかというのを身をもって知りました。『失いかけないと、大切だということに気づかないのか!』という自身の愚かさと、これまでの母に対する感謝の怠慢が悔しくて涙が溢れました。

 

ですから、私は"これから"母に感謝して生きていきたいと思えるのです。

母は真面目で料理上手で、朝ご飯に手を抜いたことを見たことがありません。毎日必ず違うおかずを用意して、冷凍食品などでお茶を濁したり、昨日の残り物を出したことがないのです。家族の誰よりも早く起きて朝食を準備し、どんなに体調が悪かろうが、母は寝坊をしませんでした。母が先に起きていない朝を迎えたことがありません。そう考えると、ちょっと超人じみた克己心がある人でした。

そういうわけで、私は朝食というものにきっと母を想うでしょう。朝食が食べられることに感謝して生きていきたいと思えるのです。

同じように、母が好きだった着物をみるときに、花をみるときに、裁縫道具に、野球に、ゴルフに、旅行に、テレビ番組に、人とのおしゃべりに、母が関わったあらゆる物事に、母が愛したこの世界に、この人生のそこかしこに、母は生きており、母に感謝して生きていきたい。

 

母が『幸せだった』と考えない!

前述の通り、これまでの母に対する感謝の怠慢を私は後悔しました。

母との思い出を思い返しても、母を喜ばせたことよりも、母を悲しませて泣かせた場面が思い浮かんできてしまうのです。

もちろん、喜ばせたこともあったとは思うのですが、そんなことよりも、この最後の場面にあっては『できなかったこと』や『やってあげられなかった』ばかりが頭に浮かんで、とても平静ではいられません。

 

誰かが亡くなった時に「○○はきっと幸せだった」もよく聞く言葉ですが、これは単に残された家族が悲しみから逃げるための言葉でしかないと思います。

『苦しく恨みをもって亡くなった』と考えることは、もちろんツライだけですので『幸せだった』と思いたいことは理解できます。しかし、私には『母は幸せだった。苦しまずに逝って良かった』などとはとても思えません。美しかった外見はまさに骨と皮だけになり、身体中の癌による痛みは麻薬による痛み止めがなければ眠ることもできず、胃は破裂しかかっていました。

母は病を克服できることを信じていたし、克服しようと頑張っていた。彼女の人生は決して幸せで満ち満ちていたわけではなかったことを知っています。何より私が幸せを与えられていなかったことを知っている。これだけ『できなかったこと』や『やってあげられなかった』がいっぱいあるのに!!

 

母が最後に何を想って旅立ったかは誰にもわかりません。

誰にもわからないことを『幸せだった』と決めつけることはおかしい。『幸せだったかもしれないが、不幸せであったかもしれない』と考えるほうがより自然でしょう。

もちろん、この答えは永久に得られないものなので『不幸せであったかもしれない』と考えることも意味がないように思えますが、この『不幸せであったかもしれない』と考えることは『幸せだった』と考えるよりも、これから残された者たちが生きる上で必要な考えである気がするのです。

 

家事手伝いが出来なかった、感謝の言葉をかけていなかった、1人悲しんでいた時にもっと話を聞いてあげればよかった……多くの後悔は『幸せだった』で流してしまってはきっと同じ過ちを犯します。

母を悲しませた私の失敗や、母の不幸せにつながったかもしれない多くの後悔は、これから人生のさまざまなところで現れる母を、今度は悲しませないために、じっと見つめて改めるべきだと思います。だから、私は母の人生を『幸せだった』と総括したくないのです。人生はそんなに簡単じゃないでしょう。

 

今では少し、悲しみはやわらいだ。つまり……消えたわけではないということだ。(中略)…そうして僕は、夜、星々の笑い声に耳をすますのが、好きになった。ほんとうに、五億もの鈴が鳴り響いているようだ……

 

握った手の先に冷たい死が忍び寄るのを感じて、そうしてしばらくして母の最期の息が止まり、細い細い首筋に脈拍の波が凪いだ瞬間を、私はまだはっきりと覚えています。手を握ることがつなぎとめる力と信じていたけども、残念ながら母は私以外の家族の到着を待ってくれなかった。

 

死の瞬間の悲しみは思った以上に少なかったように思います。

これからの生活が進むなかで、きっと母がいない悲しみを感じ始めるのでしょう。

そうして思い出しましたが、4月22日は私の誕生日でした。

母のいない初めての、そしてこれからおそらく何十回と迎えることになる誕生日を迎えたのです。迎えてしまったのです。

 

星々の笑い声に耳をすますことを好きになれるのは、まだ先でしょう。

でも、この世界に溶け込んだ母に感謝して、母を後悔させないように、前を向いて生きていきたい…このあたりが私がつらつらと考えたことでした。

 

次回はもう少し明るい話題でお会いできると良いですね(o˘◡˘o)

それでは、また次回でお会いしましょう♪

 

王様の"コトバ"に耳をかたむけよう

〇 初記事のため所信表明を一言!

SNSなんてやったことない私が、昨年2017年7月29日よりTwitterを始めた。

ニャタ (@FutamatanoCat) | Twitter

当初つぶやく予定はなかったが…

つぶやきが面白くなって慣れてくると140字制限がたまに鬱陶しく思うときが出てくる。※連ツイが多い時は…(。-人-。) ゴメンネ

そういうわけで、はてなブログに記載場所を用意した次第。

自分用のメモや雑記になる予定。三日坊主になる可能性も無きにしも非ず。

広大なネットの海の中、この記事を発見した方はそっ閉じ案件かもしれない。

奇特な方は、時間を無為に使うという贅沢に身を任せるのもよろしいかと思う。

(実は利用方法もよくわかっていない。Twitterにて、はてなブログの記事が時々流れていたので、ココを選択しただけである) 

閑話休題

でわ、さっそく、人生の初ブログをツラツラと…書いてみませうか。

 

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初回タイトルは「王様の"コトバ"に耳をかたむけよう 」

そういうわけで、テーマ曲はこれ。『Shall we ダンス?』っていい映画だよね~原曲もとの『王様と私』はまだ観てないんだけどさ…

www.youtube.com

 

〇 今年は早くも桜が舞い散った…

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4月になった先週、Twitter上では新入社員に向けた言葉がにぎわっていた。

初記事のテーマにもふさわしいように思えたので、この頃考えていたことを昔の若かった自分に向けて書いてみようと思う…人様にモノ申せるほど偉くないので(笑)

 

「納得力」という言葉が浮かんだ

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最近、「納得力」について考えていた。

どこかのビジネス本に出てきそうな、センスが毛ほどもない、今造った造語だが。

社会というステージ…特に仕事上で誰かと話をする時に、"個人の感情"や"感覚"を表現することは少ない。「わかりづらい」と思われているからだ。

でも、本当にそうなんだろうか?

 

仕事は、自分の好みだけで人と付き合えるわけじゃない。たいていは仕事が連れてきた人と作業を進めなければならない。付き合う人を選べて働けるのはほんの一握りだ。

そういうわけで、見知らぬ他人と考えを共有して仕事を進めるためには、言葉に「わかりやすさ」が必要となる。この「わかりやすさ」の最も手軽な方法が"ロジック"や"データ"を使うことだ。

 

客観的に誰が見たり聞いたりしてもわかるモノ…

それがビジネスの世界の共通語であり、便利な道具となっている。ある程度の練度でコレが使いこなせないヤツは、訓練されたリーマンとは言えない。

 

新人の頃、よく"たぶん"とか"だと思う"とか、感覚的な…または根拠を考察せず筋道だってもいない説明をしてよく怒られた。・・・今現在も怒られていた。

そうして最近ようやく、最低レベルで「論理」という道具が使えるようになってきて、やっと気づいたのだ。『この道具だけじゃ足りないんじゃねーの?』と。

 

〇 「わかりやすさ」が捨てるもの

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根拠が明確でデータもあり、筋道だった話は確かに一定の「わかりやすさ」を保障する。仕事に役だってもくれる。でも「わかりやすさ」という道具に習熟しすぎると、忘れやすく捨てやすくなるものがある。「個人の感情」だ。

 

例えば『ソレを伝えたい』と思った当初の"感情的な動機"などだ。

伝えたい内容自体に動機が含まれない場合、ときに説明の「わかりやすさ」のために、当初の"感情的な動機"が「わかりやすい」動機に改ざんされることは良くある話だ。

『発案者の商品に対する思い入れ』という動機よりも、"商品の魅力"から帰納法的に作り出された『このデザインこそが、商品が必然的に要求した製作の動機なのです!』という方がカッコよくて「わかりやすい」。感情的な動機は「わかりやすさ」に負けることは多い。

 

「わかりやすさ」のために捨てられる、個人の感情や感覚といった「主観的なモノ」たち…でも最近『この捨てられたモノたちって、本当に捨てても良いものか?』と思えてきた。

 

〇「感情」という王様

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最下級リーマンである私は、今年3月になって現状の現場で勤務を続けるか、別現場に行くかを選択できる場面があった。自分の中の理性も上司のアドバイスにしても、現状の現場で勤務を続けることが正解であるという「わかりやすい」「論理的」な説明を私に与えてくれた。でも私は「嫌」だった。


現場の人間関係が悪いわけではない。とても良好だ。仕事がツラくて大変・・・ではあるがまぁ過ぎるわけでもない。現在の職場をやめる「論理的」な理由はない。でも「嫌」だった。

 

この「嫌」を、私は「論理的」に上司に説明できなくて困った。(感情なのだから「論理的」な説明ができないのは当たり前なのだが)

「嫌」である根拠はいくつかある。でもそれには「論理的」に反論が可能なのだ。

 

例えば『この現場が長すぎて飽きた』には、『私より長く在籍している人もいるし、飽きない仕事を探すか創るかすれば良い』と言った反論が自身の中でも思いつく。その反論に対して、感情は弱々しいロジックしか提示できない。しかし、感情はすでに「嫌」という結論を決めている

 

様々な議論で起こる問題の1つはココかな?と内面でも推察できる気はする。

感情ってのは自分の中の結論を決めてしまえる特権がある

感情が決めた結論に向かって、話者がその自覚なしにロジックを組んだ主張があると、まぁ、荒れる議論となるだろう。この場合、その話者は妥協できない。主観が決めてしまった結論は、話者にとっては動かしがたいものだからだ。ピーマンが大嫌いで、その理屈をつけて主張する人間に、ピーマンを食べろという主張をそう簡単に納得させられるわけがない。そして何よりその出発点がロジックでなくその自覚もない以上、破綻は多くなる…


少々脱線したが、感情ってのは、基本的に"自分"という人間の主人なわけだ

この主人が社会に対してワガママを言って"自分"を困らせないよう、常日頃から"常識"とか"知識"とか"他人からの評価"とかその他色んなものを用いて、誘導したり、矯正したり、褒めたり叱ったりして、"自分"という国民を支配する良い王様で居てもらえるよう、人間はこの王様を常に教育しているんだと思われる。

 

そういうわけで、人が本当に心を決定するのは、その人の「感情」に従うのであって、けして「論理」でも「常識」でもない。もしそのように見えたのなら、それはその人がきちんと自分の王様を飼い慣らし、良い王様に治められた国民であるからだろう。

 

〇 「感情的共感」が足りない…すると?

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そういうわけで、初めの「納得力」になるのだ。

私が「論理」という社会人になって伺うようになった新しい主人ではなく、私の古い主人である「感情」を思い出し、『そりゃ、私の王様がNOって言ってますと説明できなかった時点で、誰かを上手く納得させられまい』とまさしく自分の中で納得がいった。

 

となると、今まで他人を説得するには「論理」があれば良いと考えていたが、どうやら違うようだぞ?ということに思い至るわけだ。

では、これらを踏まえて『納得するって何だろう?』と考えた時、

感情的共感を想起させて、ある考えを『うん、もっともだ』と認めること

になるだろうと考えた。

そうして見ると、仕事場における言葉たちに『「論理」はあっても「感情的共感」を起こさせる、つまり「納得力」に欠けた言葉は多いよなぁ』という風に思うわけだ。

 

いや、別に「感情的共感」を起こす言葉がなくても良いのだ。

賢王に統治された国民がすなわち社会人だ。「論理」がきちんとしていれば良い。それさえあれば、勝手に「感情的共感」は相手の王様の中で今流行の"忖度"によって補ってくれる。

『気に入らねーが筋は通ってやがる。この気に入らないという我(感情)は抑えて、この考えが良いという我(感情)となってやるか』

みたいな感じで。できない困った王様を持つ人もいるけど。

私が今いる業界はIT業界だし、私自身も木っ端なシステムエンジニアだし、「感情的共感」を入れるような余地が普段の仕事に存在しないのは確かだ。

 

しかし、しばらくの間、私は王様からの「嫌」という結論の発布に気づかなかった

「論理」に訓練された奴隷リーマンである私は、「感情」という王様の"コトバ"のマジ具合…「感情」の温度がいつの間にかわからなくなっていたのだ。

『ちょっとモヤモヤするが、筋は通っているので、この考えは好き!』

くらいまで、「論理」に訓練されたプロは自分の感情を忘れ去れる。"好き!"と考えた瞬間、もう本当の自分が何にモヤモヤしたか思い出せない。

そんな私であったため、この「嫌」がいつもの王の"つぶやき"であり、普段通りにこのちょっと愚鈍な王を調教してやれるだろうと思っていた。

だが、この「嫌」は結論の公布だったのだ…

 

〇 「主観的なモノ」は強化

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相手を納得させるには「感情的共感」つまり"相手の王様にうなづいてもらう"必要がある。

仕事のやりとりで「論理」を使って相手を説得するのは、世間の王様に賢王が多いからだ。相手の王様がどういう人物であるかを事前に見極められているのなら、ずばり相手の「感情」という王様に直訴する方法と手段をとるのが近道だろう。

 

先に話した「わかりやすさ」によって捨てられる「主観的なモノ」たちの重要性とはココだ。相手の王様によっては、むしろその主観性を強化することで、強烈な「納得力」を持つ可能性がある。

 

『(何となくあの人嫌い)ネクタイの趣味が合わないから、一緒に仕事したくない』

という部下の訴えに「納得力」はほとんどないが、

『(あの人は生理的に無理)ネコを見るのもイヤで見かけたら石を投げると言うあの人と、愛猫家の私は根本から合わないので、一緒に仕事したくない』

という訴えには、その強い主観的な経験が相手にも伝わるので、ある意味で十分に「論理的」であり「納得力」がある。

 

「納得力」は主観的なモノにも十分宿るのだ。

であるならば、主観的なものから抽出した下手な「論理」に頼るのではなく、むしろその主観を深く取り出して強化した時にこそ、「納得力」を持つ場合もあるだろう。

 

〇「納得力」を鍛えるには

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「感情的共感」を意識して使わないのか、それとも「論理」しか使えないのかで、仕事におけるその人の言葉は違って聞こえるだろう。

 

だから、きちんと他人への「納得力」を鍛えるには、普段から自分の「感情」という王様をよく見つめることが大事だ。自分の王様の"コトバ"もきちんと受け止められないで、誰かの王様をうなずかせられるわけがない。

 

私の王様はよく私の話を聞いてくれる素直で優しい王様で、ワガママをあまり言わなかった。言わないから人形くらいに思っていて、すっかり「論理」による院政が敷かれた気になっていた。でもやっぱり実権は握っていたのだ…

 

誰の王様でも、王様は普通あまりしゃべらないのだ。

頭の中で"しゃべった"時点で、実はそれは元の王様(感情)の"コトバ"じゃないんだ。

 たとえ近かったとしても。

 

私は最近オッサンになって涙もろくなったが、涙が流れて初めてどれだけ心が動いていたかを感じる事がある。

本当の王様の"コトバ"というのは、そういう時に伝わっている。

心が震える振動だったり、涙で濡れる感触だったり、思わず笑ったその声に、王様は自分に意志があることを伝えている。そういった王様の声なき声をちゃんと見つめてあげるのが「納得力」の筋トレだ

 

『ああ、僕の王様はこんな時に心震わすのだね』『ここまで私の王様は心を痛めていたんだね』『オレの王様はこういうセンスが好きなのか』

 

この筋トレで、自分と自分の王様を深く理解できるし、誰かの王様の動きもちゃんと予想がつくようになる。「論理」はイヤでも社会から学ばされる。オマエはきちんと自分の中の「王様の"コトバ"に耳をかたむけて」おけ。

私みたいに訓練され過ぎた男には、自分の王様の"コトバ"も、もううまく聞き取れやしないんだからよ。

 

 

〇 おまけ…というか愚痴

…え、ココまで読んだ人いるの?すごくね?もうお付き合いありがとうです。疲れてない?私は正直めちゃくちゃ疲れた。

告白すると人生でこんなに長い文を初めて書いたので、もう己の能力のなさに何度絶望しかけたか…書きたいことがあっちゃこっちゃ飛ぶんだよ!1書こうとしてるのに、3くらい出てきやがって! 『オレはどれだけこの紙面を漕げばいいんだ…』と海の広さと推進力の無さに絶望して3書くの諦めたら進み始めた…推進力は絞らないと出ないんですね。学びました。

それでも約5400字も使いやがって…文章の品質とかもう疲れて見てらんない…イラストは適当にのっけたけど。とりあえず漕ぎついたのでよしとしよう!

次回記事を書くならもっとグッと!短いものを書く!じゃないと続かねーよこんなの。土曜日1日使って余裕で終わらんかったわ…徹夜しかけて寝ちゃったじゃねーか。寝てるじゃねーか。

 

ということで、私の人生初長文にお付き合いいただいた方はありがとう。

いつかまたお会いできたら良いですね(o˘◡˘o)