星々の声に耳をすまそう
2018年4月20日の金曜日、母が亡くなった。
大腸癌だった。
昨年5月に癌だとわかってからの約1年間、母は最後まで病と戦う選択をした。
でも、その選択のうちに母が何を想っていたのかを知るすべはもうない。
……
どうしても暗い始まりになってしまったけれど、
先週ほぼ一週間はずっと病室で過ごして、曜日も時間感覚も狂う生活だったので、ようやっと落ち着いた4月22日の夜21時現在、母の死から想ったことなどを書き留めて置こうと思う。
ユーミンは名曲ぞろいですよね。でも私は"松任谷由実"よりも"荒井由実"派です(笑)
前回もテーマ曲をつけましたけれど、私は文章の巻頭に聖書の一句や詩などがついて始まる、古典的な形式が何となくカッコ良くて好きです。(エピグラフ - Wikipedia というらしい…初めて知った)
でも、詩や古典といった教養がないので、J-POPで代用させて頂こうと思ってつけてるのです。
閑話休題。
肉親の死というのは、これはまぁ人類共通に避けられない出来事なわけです。
『母がどんなに可哀想であったか!』ということを語りだすと、これはこの文章を読むほうも鬱屈するうえに退屈だし、何よりそんなことを書くほうも嫌になります。
そういうわけで「肉親の死に対して、どうやって前を向いていくべきだろう」ということを、母の手を握りながらぼんやりと考えたことを書き留めようと思います。
「星の王子さま」を読みましょう!
いきなり方法から書きましたが…おススメです。
とある縁から、先月3月に「星の王子さま」の公演を拝見する機会があったのですが、この公演を見て「星の王子さま」の原作を読み直していたことが、母の死を迎えるに際して、前向きに考えられる一助になっていたと思います。
「星の王子さま」はフランス人の飛行士・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説で、彼の代表作であり、1943年にアメリカで出版された本です。
初版以来、200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えて現在まで読み継がれるロングベストセラーという話ですから、すごいものです。
名前を知らないという方は少ないのではないでしょうか?でもまた、子どもの頃に読んだけど、大人になって読んだという方は少ない気がします。
「星の王子さま」のストーリー自体は、ぜひ原作を読んでください。
自分の持つ詩的な心と、社会との間に摩擦を感じた人ほど、多くの示唆を感じ取れる本でしょう。そして、人の死を迎えるに際しても、この作品ではとても重要な示唆を与えてくれています。
「花のことと似てるな。どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見上げるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いているように見える」
星の王子さまは、最後に"死"を思わせる方法で自分の星に帰っていくのです。
「きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ!」
よく「○○はキミの心の中で生きている」に類する言葉を見かけますが、私にはよくわかりませんでした。
「○○が実在しなくても、○○を自分の心に描ける」とか「仕草や思想といった○○の要素は、自分の中に息づいている」という意味にとっていましたが、「星の王子さま」を読むとそういうわけではないのだなと思ったのです。
星になる人は、決して自分というたった一人の心の中に閉じ込められるのではない。
まさしく世界に存在する星に溶け込むのであって、私たちはこの世に実在する星の中に、その人を見つけるのです。「○○はキミの心の中で生きている」という言葉も、
『今ここにあるモノの中に、○○が息づいている(○○が生きている)ことを見つける眼を獲得したのだ』
という事だと思えました。
母を失いそうになって、私は初めて母をいかに愛していたかというのを身をもって知りました。『失いかけないと、大切だということに気づかないのか!』という自身の愚かさと、これまでの母に対する感謝の怠慢が悔しくて涙が溢れました。
ですから、私は"これから"母に感謝して生きていきたいと思えるのです。
母は真面目で料理上手で、朝ご飯に手を抜いたことを見たことがありません。毎日必ず違うおかずを用意して、冷凍食品などでお茶を濁したり、昨日の残り物を出したことがないのです。家族の誰よりも早く起きて朝食を準備し、どんなに体調が悪かろうが、母は寝坊をしませんでした。母が先に起きていない朝を迎えたことがありません。そう考えると、ちょっと超人じみた克己心がある人でした。
そういうわけで、私は朝食というものにきっと母を想うでしょう。朝食が食べられることに感謝して生きていきたいと思えるのです。
同じように、母が好きだった着物をみるときに、花をみるときに、裁縫道具に、野球に、ゴルフに、旅行に、テレビ番組に、人とのおしゃべりに、母が関わったあらゆる物事に、母が愛したこの世界に、この人生のそこかしこに、母は生きており、母に感謝して生きていきたい。
母が『幸せだった』と考えない!
前述の通り、これまでの母に対する感謝の怠慢を私は後悔しました。
母との思い出を思い返しても、母を喜ばせたことよりも、母を悲しませて泣かせた場面が思い浮かんできてしまうのです。
もちろん、喜ばせたこともあったとは思うのですが、そんなことよりも、この最後の場面にあっては『できなかったこと』や『やってあげられなかった』ばかりが頭に浮かんで、とても平静ではいられません。
誰かが亡くなった時に「○○はきっと幸せだった」もよく聞く言葉ですが、これは単に残された家族が悲しみから逃げるための言葉でしかないと思います。
『苦しく恨みをもって亡くなった』と考えることは、もちろんツライだけですので『幸せだった』と思いたいことは理解できます。しかし、私には『母は幸せだった。苦しまずに逝って良かった』などとはとても思えません。美しかった外見はまさに骨と皮だけになり、身体中の癌による痛みは麻薬による痛み止めがなければ眠ることもできず、胃は破裂しかかっていました。
母は病を克服できることを信じていたし、克服しようと頑張っていた。彼女の人生は決して幸せで満ち満ちていたわけではなかったことを知っています。何より私が幸せを与えられていなかったことを知っている。これだけ『できなかったこと』や『やってあげられなかった』がいっぱいあるのに!!
母が最後に何を想って旅立ったかは誰にもわかりません。
誰にもわからないことを『幸せだった』と決めつけることはおかしい。『幸せだったかもしれないが、不幸せであったかもしれない』と考えるほうがより自然でしょう。
もちろん、この答えは永久に得られないものなので『不幸せであったかもしれない』と考えることも意味がないように思えますが、この『不幸せであったかもしれない』と考えることは『幸せだった』と考えるよりも、これから残された者たちが生きる上で必要な考えである気がするのです。
家事手伝いが出来なかった、感謝の言葉をかけていなかった、1人悲しんでいた時にもっと話を聞いてあげればよかった……多くの後悔は『幸せだった』で流してしまってはきっと同じ過ちを犯します。
母を悲しませた私の失敗や、母の不幸せにつながったかもしれない多くの後悔は、これから人生のさまざまなところで現れる母を、今度は悲しませないために、じっと見つめて改めるべきだと思います。だから、私は母の人生を『幸せだった』と総括したくないのです。人生はそんなに簡単じゃないでしょう。
今では少し、悲しみはやわらいだ。つまり……消えたわけではないということだ。(中略)…そうして僕は、夜、星々の笑い声に耳をすますのが、好きになった。ほんとうに、五億もの鈴が鳴り響いているようだ……
握った手の先に冷たい死が忍び寄るのを感じて、そうしてしばらくして母の最期の息が止まり、細い細い首筋に脈拍の波が凪いだ瞬間を、私はまだはっきりと覚えています。手を握ることがつなぎとめる力と信じていたけども、残念ながら母は私以外の家族の到着を待ってくれなかった。
死の瞬間の悲しみは思った以上に少なかったように思います。
これからの生活が進むなかで、きっと母がいない悲しみを感じ始めるのでしょう。
そうして思い出しましたが、4月22日は私の誕生日でした。
母のいない初めての、そしてこれからおそらく何十回と迎えることになる誕生日を迎えたのです。迎えてしまったのです。
星々の笑い声に耳をすますことを好きになれるのは、まだ先でしょう。
でも、この世界に溶け込んだ母に感謝して、母を後悔させないように、前を向いて生きていきたい…このあたりが私がつらつらと考えたことでした。
次回はもう少し明るい話題でお会いできると良いですね(o˘◡˘o)
それでは、また次回でお会いしましょう♪